■ワンポイント・エッセイ「優れた講師とは」(2)
                    大嶋 利佳

 今月1日から、新入社員研修が続く日々を過ごしています。そ
の中で私がもっとも意識しているのが「研修を“お勉強”の時間
にしない」ことです。研修は会社が経費を使い、勤務時間を割い
て行っているのですから、業務の一環であり仕事です。受講者に
「まだ仕事じゃない、仕事をするための準備、勉強だ」という意
識を持たせないよう、工夫をしています。
 そのひとつが、自分を「先生」と呼ばせないことです。研修冒
頭で「私が先生、皆さんが生徒ではない。私は、御社の研修とい
う業務プロジェクトを効果的に実施するために、依頼を受けてや
ってきた協力会社、取引先の担当者です。さんづけで呼んでくだ
さい」とはっきりと伝えます。そして担当同士という関係ですか
ら、当然私も受講者をさんづけにし、丁寧な敬語で講義を進めま
す。これが受講者の学生気分を払拭させる第一歩です。
 自分を先生と呼ばせない講師はよくいます。ただし、その理由
について「自分はそれほど偉くはないから」とか「研修を通じて
自分も受講者とともに成長したいから」などと言う人がいます。
私はこういう考え方を持つ人を、優れた講師だとは思いません。
 講師と受講生が対等、平等なはずはありません。そこには教え
る、教わるという関係が存在し、教える側が主導的になるのは当
然です。それを踏まえた上であえて「社会人という点では対等で
す」との姿勢を示し、それにふさわしい態度、対応を求める厳し
い先生として接してこそ、研修の効果があがると私は考えていま
す。