■ワンポイント・エッセイ「優れた講師とは」
大嶋 利佳
新年度となり、新人研修の時期となりました。数多くの講師が
登壇する機会を得ていると思いますが、新人研修ほど講師の力量
をあらわにする場面はない、と私は考えています。言い換えれば、
それぞれの講師が凡庸か、優れているかの差がはっきり見えるの
です。これまでの経験から、新卒対象の研修を例にとって、その
差を分けるものについて述べてみます。
最初にあげられるのが、受講生に対する態度です。凡庸な講師
は、受講生を「まだ学生、生徒」、「社会人経験がない新人」と
みなします。平たくいうと子供扱いするのです。
そして、まるで学校の先生のようにフレンドリーに接します。
これでは受講生は「研修も学生時代の授業の延長」「講師は優し
く教えてくれる人」と受け止め、学生気分が抜けません。
一方、「社会の厳しさを教えて学生気分を払拭させなければ」
と、高圧的、強制的な態度を取る人もいます。声が小さい、お辞
儀の角度が足りない、と些末なことで受講生を責めたて「それが
厳しさだ」と考える講師もいます。これも、受講生を子供扱いし
ていると言えるでしょう。もし相手を一人前の社会人だと扱い、
敬意をはらっているならば、初対面の他社の人に向かって、いき
なり指図をしたり欠点を指摘したりするはずがありません。
受講生とどう向き合うか、どういう態度、姿勢で研修を運営し
ていくか。ここを深く考えることが、優れた講師になる第一歩で
す。
大嶋 利佳
新年度となり、新人研修の時期となりました。数多くの講師が
登壇する機会を得ていると思いますが、新人研修ほど講師の力量
をあらわにする場面はない、と私は考えています。言い換えれば、
それぞれの講師が凡庸か、優れているかの差がはっきり見えるの
です。これまでの経験から、新卒対象の研修を例にとって、その
差を分けるものについて述べてみます。
最初にあげられるのが、受講生に対する態度です。凡庸な講師
は、受講生を「まだ学生、生徒」、「社会人経験がない新人」と
みなします。平たくいうと子供扱いするのです。
そして、まるで学校の先生のようにフレンドリーに接します。
これでは受講生は「研修も学生時代の授業の延長」「講師は優し
く教えてくれる人」と受け止め、学生気分が抜けません。
一方、「社会の厳しさを教えて学生気分を払拭させなければ」
と、高圧的、強制的な態度を取る人もいます。声が小さい、お辞
儀の角度が足りない、と些末なことで受講生を責めたて「それが
厳しさだ」と考える講師もいます。これも、受講生を子供扱いし
ていると言えるでしょう。もし相手を一人前の社会人だと扱い、
敬意をはらっているならば、初対面の他社の人に向かって、いき
なり指図をしたり欠点を指摘したりするはずがありません。
受講生とどう向き合うか、どういう態度、姿勢で研修を運営し
ていくか。ここを深く考えることが、優れた講師になる第一歩で
す。
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